結局、固定回線のネットは止めて、今はUQのWiMaxでネット生活しております。
さて、私としては今年前半に大きな出来事がございました。
1月に叔父が逝きました。 お葬式には顔を出せず仕舞いでした。
5月に父が逝きました。 父は胃ガンだったそうです。
『だったそうです』とは何だ?他人事か?と思われるかもしれません。
私は何にも出来ませんでした。
学校を卒業したら父と一緒に仕事をするつもりで入学したのに、東京で全く違う業種の会社に就職したときから、こういう事態は覚悟していたつもりの馬鹿者です。
覚悟とか偉そうに。。。
春先に、胃ガンのステージ4という知らせを、妹から受けた時には、暫く言葉が出てきませんでした。
余命3ヶ月くらいと言われたそうです。
入院先は福岡でしたから、大阪からはそんなに遠くはありません。
母が付き添っていたので、電話で様子を訊き、少しだけ、父と会話できました。
「様子見に行くけん。」
「来んでええ。仕事しとけ。」
弱弱しい、父らしい精一杯の強がりが返ってきました。
仕事がトラぶっていて、ひと段落ついたら見舞いに行こうと思っていました。
間に合いませんでした。
弟と妹で相談して、胃の一部を切除する手術で多少は楽になるという可能性に賭けた結果、手術は失敗して肺に余計な穴が空いて余命が縮んでしまったようです。
昨年末、婚約者と一緒に実家に帰り、家族に紹介しました。
50を大分過ぎて、ようやく長男が家族に婚約者なる女性を紹介しに帰ってきたんです。
やっと。
父の運転で、対馬をあちこち連れまわされました。
道中、子供たちへのお年玉に、対馬までの交通費に、かなり奮発したようです。
「いえ、そんなにいいですよ。」
と遠慮する彼女に
「いいけ、とっとかんか!」
睨みつけんでもよかろうと思いながら、
「交通費はおれが出したとやが?」
「おまえにじゃねえ!彼女にやるちゃ!」
嬉しそうでした。
昔から、父は、気に入った人にはいろいろ世話したがる人です。
若かりし頃、家族には厳しい人でした。
子供はゲンコツで育てる主義で、ケンカに負けて泣いて帰ったら家の外に放り出す、泣いたらなお殴る。
今なら警察が飛んできます。
私が高専に合格したという知らせを、スゴく嬉しそうなニコニコ顔で「ダメやったばい」と仕事放り出してウソつきに帰ってきました。
ウソがヘタな人です。
妻1人子供4人、なに不自由なく育て上げてくれました。
自動車整備工場を立ち上げ、周りに慕われながら、人の世話をやきながら、たまに浮気しながら、頑張って生きていました。
弟に代表を譲っても、始業前には工場内を全部掃除し終える人でした。
四角いところを丸く履く、とは言われてましたが。
怒りんぼうで嫌なところもありますが、尊敬しています。
悪さしている人を見かけたら、子供でも大人でも怒鳴りつける人でした。
晩年は大人しくなってしまいました。
孫達に囲まれ、悠々自適で暮らしていたと思います。
父の会社は随分前から弟が継いでいて、周囲からは弟が長男だと思われているようです。
私が20歳で東京のコンピュータ関連企業に就職したときから弟が長男なので、喪主が弟なのは仕方ありません。
父はどう思ったでしょうか。。。訊くすべがありません。
随分前に、本当はお前と弟で会社やれば一番良かったが、ボソっとそう呟いたことがありました。
父の本音でしょうね。
何も返せませんでした。
昨年末の帰省の時、空港に迎えに来てくれた父が、妙に痩せていたのを見て、違和感はあったんです。
あの時何かできなかったかとか、今年になって出た診断がステージ4ならどうしようもなかっただろうとか、せめて入院中に1回でも見舞いに行けばとか、仕事を放り出して行ったら怒られただろうとか、考えると悶々としてしまうだけなので、考えないようにしています。
そういう後悔は自慰行為ですから。
情けないことに、彼女を葬儀に参列させてあげることが出来ませんでした。
詳しい事情は省きますが、本当に申し訳ないことをしたと思います。
すみません。書いては消し、書いては消し、を繰り返して、まとまりのない話になってしまいました。
なにしろ、私は無事に過ごしております。
体調が崩れやすい季節柄ですので、皆様どうぞご自愛なさいませ〜。
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