終わりと始まりと
2016.01.24 Sunday 20:09 かいごっち comments(2)
このカテゴリで記事を書くのは久しぶりです。
その間介護の状況に何もなかったわけではありませんが、ブログの記事にはしておりませんでした。
不精というか怠け者というか、私にブログは向いてないのかもしれません。

言い訳はともかく…。

念のために宣言させていただきますが、本記事は実に個人的な内容でしかなく、決して楽しい内容ではありません。私自身の貧弱な記憶力を補完し、感謝を忘れないようにするために書いているようなものであります。

 
本題です。


先日、89歳の誕生日を迎えた数日後、叔母が黄泉国へ旅立ちました。
とても、とても安らかな、まるで寝ているかのような穏やかな顔でした。
息を引き取る前日に病院からの危篤の連絡を受け、仕事を早退して叔母の知人と共に見舞いに行きましたが、小康状態であったため一旦帰宅したら、その翌早朝に最期を迎えたとの連絡があり、そのままお見送りの流れとなりました。

実子が喪主を務めたお通夜と本葬と初七日を済ませ、お骨になった叔母は今、30年以上家族同然の付き合いが続いていた知人宅で四十九日を待っています。そこは血縁の関係のない知人宅なので、普通なら実子や生前同居していた甥である私が担うべきだろうとか、いろいろな声があるかもしれませんが、血より濃いご縁を持つ方々に見守られているわけで、故人の生前の意向に沿った形です。心情的には、実子よりも私よりも喪主にふさわしい方々です。

12月から褥瘡(いわゆる床ずれ)が酷くなり、毎日訪問看護師さんの手当てを受けていましたが、年末年始はヘルパーさんもお休みですし、叔母の世話を自宅で行うにはしんどいだろうという周囲からの意見もあり、年末年始はレスパイト入院という形で介護に手馴れた病院へ移動しておりました。正月明け4日に帰宅予定だったのですが、自分から飲食できないため胃瘻(いろう)をしないのであれば点滴を外せないという状態が続き、血中酸素濃度が低下していたため酸素吸入マスクを装着するようになりました。一時は、声をかければそれなりの反応があったのですが、おそらく叔母がこの人には会っておきたいと思っている人がひと通り見舞いにきてくれたことに満足したのか、最期の支度を始めたように思います。

常日頃、叔母を我が親のように世話をやいて下さっていた知人ご夫婦も、先月からはもう看取りの日々として過ごされていたようでした。お二方ともパートとはいえお仕事を抱えながら、ご主人はご自身の体調も良いとは言えない中、毎日病院に通って下さいました。危篤の連絡を受けて病院に行った日は、モニタに表示される血圧の48/18という非常識な数値に、皆、ああいよいよかと覚悟しました。

やはり独りで居るといろんな思いがこみ上げてきます。いざその時を迎えてしまうと、自分でも意外なくらいうろたえ、実子や知人ご夫婦の振る舞いに、身勝手な反感を持ったりもしました。もっと冷静でいられると思っていたんですが、ダメでした。

今はだいぶ落ち着きましたが、それは先日婚約したばかりの女性のおかげです。

彼女は、大阪に来るたび叔母の顔を見に行こうとしてくれていました。たまにですが、私が遊び優先にしたため叔母宅に寄ることもなく帰京したこともありましたが、いつも叔母の様子を気にしてくれていました。家に寄らないよう仕向けたのは、来ても叔母は眠ったまま話もできないことが多くなってきたからで、それでも顔を見たいという彼女を、がっかりさせたくなかったからなのですが、それは私の独善だったと思います。
今月も病院に見舞いにきてくれました。家族葬ということで、身内だけで見送るということになったのですが、出席できなくてもいいからと、お通夜の前からこちらに来て、いろいろ働いてくれました。結局、知人ご夫婦の計らいで私の妻という形で出席でき、葬儀に参加してくれました。合間を縫って部屋の片付けや掃除をしてくれました。


今、私がこうして落ち着いていられるのは、彼女のおかげです。
本当に、ありがとう。


そして、彼女が私を愛してくれるようになったきっかけは、叔母ちゃん、貴女のおかげです。
ほんま、ありがとう。

合掌

 
comments(2)
コメント:
2016/02/25 10:22 AM, 天野 wrote:
お悔やみ申し上げます。
そして、お疲れ様でした。
ご挨拶が遅くなり、申し訳ありません。

えりさんのblogで知って、お悔やみのメールをしようかどうしようかと迷っている内に日が過ぎてしまって、そもそも、このコメントも、完全にタイミングを外してしまいました。
勘違いでなければ、一度この存在が消えていたようで・・・、触れてほしくないのかもとコンタクトを自重していました。

自宅介護の大変さは、当事者にしか解らないと思われます。大変でしたねの一言では片付けられない事で、苦労も多かったと思います。ただ、全てを負担と思っていたわけじゃないだろうなと。
当たり前の事として受け入れてた部分があって、妥協してること、割り切れないこと、ゴチャゴチャたくさんあって、仕事と介護の両立・・・本当にお疲れ様でした。
相互の愛情なくして、成立しない生活だったと思います。
色々と悔いてる事はあるかも知れませんが、叔母様が、病院で、皆の見舞いを受けて、最期が迎えられたことは、お兄さんの支えがあったからだと思います。そうでなければ、事故に遭っても、事故が起こってもおかしくない状況だった気がします。
そんな中で、えりさんとのタイミングは素晴らしいです。キッカケだけじゃなくて。二つのblogの中でしか知り得ませんが、叔母様のキューピッドで間違いないと確信しています。
照れ屋でヘタレなオニーサンの、献身や頼りがいを引き出していたのですから。

介護を身近にしている者として、オニーサンと、旅立たれた叔母様お二方に、ねぎらいの気持ちを込めて、お疲れ様でしたと、言わせて下さい。
2016/02/26 1:09 AM, 伊助 wrote:
■ 天野さん

いろいろろご心配をおかけしておりました。今月はブログサイトの契約切り替えに想定外の事態があって、コンテンツが消えたわけではないのですが、1日から9日までURLが変わってしまっておりました。JUGEMスタッフに処置して頂いて、以前と変わりない状況に復元されております。

さて、暖かいお言葉を賜り、恐縮至極に存じます。

介護はですねえ、、、なんと言いましょうか。個々にいろいろ事情がありますよね。制度の利用にも月々所定の費用がかかります。訪問診察やら訪問看護も受けておりましたし、更に出費がかさみます。そういった費用面では私は一部しか負担しておりませんでしたし、世話をしたといっても大したことはできませんでした。現場で、幾人ものお世話を続けておられる方々にこそ頭が下がります。

いずれにせよ、今は落ち着いておりますが、貴重な出逢いを演出してくれた叔母に感謝しています。


あんまり長文コメントを書くとジェラシーパークに迷い込むのでこのへんで(笑)。
コメントを書く









NAVIGATION
CALENDAR
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< December 2019 >>
LINK
ENTRY(latest 5)
CATEGORY
コメント
ARCHIVES
PROFILE
MOBILE
qrcode

(C) 2019 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.